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〒520-1221 滋賀県高島市安曇川町上小川225-1
1608(慶長13)-1648(慶安元)。江戸時代初期の儒学者。わが国における陽明学の開祖。数多くの徳行、感化によって、没後に《近江聖人》とたたえられる。近江国高島郡小川村(現在の滋賀県高島郡安曇川町上小川)に、中江吉次の長男として生まれる。
名は原(げん)、字は惟命(これなが)、号は嘸軒または顧軒、通称は与右衞門(よえもん)、幼名は原蔵(げんぞう)という。普通おこなわれている藤樹とは号でなく、屋敷に生えていたフジの老樹から、門人たちが《藤樹先生》と呼んだ尊称に由来する。
9歳、米子藩主加藤貞泰の家臣であった祖父・中江吉長の養子となり、米子に行く。10歳、藩主の国替えにともない、伊予国大洲(現在の愛媛県大洲市)に移り住む。15歳、祖父の死去により、100石取りの武士となる。17歳、独学で『四書大全』を読み、朱子学に傾倒する。しかし、33歳のとき、『王龍渓語録』を、37歳のときには『王陽明全書』を入手するや、熟読玩味して、おおいに触発感得をうける。それまでの学問上の疑念が解け、格法主義的な生活の非なることを知り、しだいに王陽明の「致良知説」へと信奉していった。これより以前の27歳のとき、母への孝養と自身の健康を理由に大洲藩士の辞職を佃家老に願いでるが、ついに許可を待たずに脱藩して、ふるさとの小川村へ帰る。浪人(牢人とも書く)となった藤樹は、居宅を私塾として開き、41歳で亡くなるまでのおよそ14年間、大洲からやってきた藩士や近郷の人々に《孔孟の学》や《陰隲》を教導する。
代表的な門人としては、熊沢蕃山、淵岡山、中川貞良・謙叔兄弟、泉仲愛らがいるが、とりわけ藤樹没後における蕃山の事績によって、藤樹の名声をいちだんと高めたことは注目しなければならない。
また、魯鈍の門人であった大野了佐にたいして、大部の『捷径医筌』を著わし、それをテキストにして熱心に医学を教え、立派な一人前の医者に育てあげた話は、人を教えて倦まない藤樹の生き方を知るうえで、あまりにも有名なエピソードの一つである。
藤樹の著書は、『藤樹先生全集』全5冊(岩波書店版、昭和15年)に収められている。そのおもなものとして、『翁問答』『鑑草』『孝経啓蒙』『論語郷党啓蒙翼伝』『論語解』『大学考』『大学解』『大学蒙註』『中庸解』などがある。
西暦 | 年号 | 年齢 | 事 柄 |
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1608 | 慶長13年 | 1 | 3月7日、近江国高島郡小川村に生まれる |
1616 | 元和 2年 | 9 | 米子藩主加藤貞泰の家臣であった祖父吉長の養子になり 米子に移住。 |
1617 | 〃 3年 | 10 | 加藤貞泰の転封により、伊予国大洲へ移住。 |
1621 | 〃 7年 | 14 | 曹渓院天梁和尚に書道や漢詩を学ぶ。8月7日祖母卒。 |
1622 | 〃 8年 | 15 | 9月22日 祖父吉長卒。 |
1624 | 寛永元年 | 17 | 京都から来た禅僧に『論語』を学ぶ。 |
1625 | 〃 2年 | 18 | 1月4日 父吉次卒。 |
1628 | 〃 5年 | 21 | 『大学啓蒙』を著す。 |
1630 | 〃 7年 | 23 | 「安昌、玄同を弑するの論」を書く。 |
1631 | 〃 8年 | 24 | 「林氏、髪を剃り位を受くるの弁」を書く。 |
1632 | 〃 9年 | 25 | 近江に帰省し、母に伊予での同居を勧めるが拒否される。 |
1634 | 〃11年 | 27 | 3月7日 辞職願を提出するが拒否される。 10月 脱藩し、京都に潜伏後近江に帰郷する。 |
1637 | 〃14年 | 30 | 伊勢亀山藩士高橋小平太の娘・久と結婚。 この頃より、門人となる者多し。 |
1638 | 〃15年 | 31 | 『持敬図説』『原人』を著す。 大野了左入門、後に彼のために『捷径医筌』を著す。 |
1639 | 〃16年 | 32 | 「藤樹規」「学舎座右戒」を作る。 |
1640 | 〃17年 | 33 | 『性理会通』を読み、太乙神を祭る。『翁問答』を著す。 |
1641 | 〃18年 | 34 | 『孝経啓蒙』の執筆開始、翌年完成。熊沢蕃山入門。 |
1642 | 〃19年 | 35 | 11月 長男宜伯誕生。 |
1643 | 〃20年 | 36 | 『小医南針』を著す。 |
1644 | 正保元年 | 37 | 『陽明全集』を初めて入手する。『神方奇術』を著す。 |
1646 | 〃 3年 | 39 | 1月25日 次男 仲樹誕生。 4月30日夫人久卒。 |
1647 | 〃 4年 | 40 | 大溝藩士別所友武の娘と再婚。 『鏡草』を著す。 |
1648 | 慶安元年 | 41 | 7月4日 三男季重(常省)誕生。8月25日中江藤樹没。 |
日時 | 内容 | 事 柄 |
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1月11日 | 講書始め(鏡開き) | 藤樹先生の存命中からこの日に行われてきた行事。先生は 「愛敬」の2字を揚げて門弟と供に「孝経」を読みました。 それをしのんで参詣者一同が拝誦します。 |
3月7日 | 立志祭 | 藤樹先生の誕生日。11歳のとき「聖人学んで至るべし」 と志を立てたことに因んで小学3年生が将来の夢を作文に 託して参詣し、それを成人式に受け取ります。 |
7月23日 | 常省祭 | 中江家を継いだ三男弥三郎の命日。はじめ岡山藩に仕えて 学校奉行を勤め、対馬藩でも学校奉行となって常省先生と 慕われました。この日にも参詣者一同が「孝経」を拝誦し ます。 |
9月25日 | 儒式祭典 | 藤樹先生が亡くなったのは旧暦の8月25日。ひと月遅れ の命日に儒式にのっとって厳かに執り行われます。 |
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