『大野了佐を教える』

解説
  この話は、藤樹先生年譜、行状伝聞に記されている実話に基づいて描きました。
大野了佐は、藤樹の大洲時代の親しい友人大野勝介の嫡男でしたが、知的能力が乏しいため、父は、侍の跡継ぎを認めませんでした。その了佐がなりたいと考えた仕事は、医者でした。「藤樹先生に医学を習いたい」と、心に決め、頼みにいきました。
 先生が、数年間、了佐を教えて判ったことは、能力の低さと格別の粘り強い性格でした。大洲における了佐の学問は、藤樹先生の脱藩で途絶えました。しかし、その後も四年間、父に頼み続けて、近江の小川村への留学が実現しました。
能力の高低で、人を差別しない先生の教育方針と、長所を最大に生かす教育法のお陰で、了佐は三年後、医者としての力を付けることができました。先生は喘息を患い、又、多忙な生活の中で、了佐に精根尽きるような力を注ぎ、ついに立派な医者を育てたのです。
心を砕いて教えた先生、応えて一心に努力した了佐の姿は、後世の多くの人々、子供にも大人にも、大きな感動を与え続けているように思います。
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生 ここは、伊予の国 大洲藩、二百石(年俸 一千万円位)どりの大野家です。
了佐は、父の部屋に呼ばれました。
了佐「父上、何のご用ですか。」
父「大事な話がある。了佐、お前は、生まれつき、字を覚えたり、理解したりすることが苦手である。武士のあとつぎとして、努めるのは無理だ。自分に合う仕事を、何か考えなさい。」しばらくして、うつむいて考えていた了佐は、顔を上げました。
了佐「・・・・私は、やりたい仕事が一つだけあります。」
父「どんな仕事か、言ってみよ。」
了佐「それは、医者です。病気で苦しむ人を治し、みんなに喜んでもらえるよい仕事です。」
父「何じゃと・・・・、覚えることの苦手な了佐には無理じゃ。」
了佐「私は、石にかじりついてでも、がんばります。」
父「医者になるには、人一倍学問をしなければならん。第一、大洲には医学を教える先生もいない。考え直すのじゃ。」
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生 了佐「父上は、『無理じゃ』と言われたが、私はどうしても医者になりたい。しかし、どうやって先生をさがせばよいのか。あっ、大洲一番、学問に熱心な方がおられるぞ。中江与右衛門先生に、医学書の読み方を教えてもらおう。」
了佐はさっそく先生の家へ行きました。
先生「どんな用かな。」
了佐「先生、さっそくですが、私にも医学書の読み方を教えてください。父は、私に武士のあとつぎをゆるしてくれません。しかし、私には、医者になり、人の役に立ちたいという夢があるのです。どうか、お願いします。」
先生は、必死に頼む了佐のことを、気の毒に思って、承知しました。
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生 さっそく、了佐は喜んで先生の所へ勉強に来ました。先生は、最初に『医方大成論』という医学の入門書を教えました。たった二つか三つの言葉を朝から夕方まで、くり返し、くり返し二百ぺんも読ませてようやく覚えられるのです。
先生「了佐、夕食をすませなさい。その後、続きをやろう。」
了佐「はい。分かりました。」
 夕食をすませて、続きの勉強をしました。
先生「了佐、先ほど勉強した言葉を言いなさい。」
了佐「はい。えーっと、えーっと、出てきません。思い出せません。」
先生「そうか。まだ、勉強が足りないとみえる。最初から、もう百回読んで覚えなさい。」
こんな調子なので、了佐の勉強は、他の若者たちと違ってなかなか進みませんでした。
 数年が過ぎ去ったある日、先生は了佐に言いました。
先生「私には、事情ができて、了佐に医学を教えることができなくなった。これまでに付けた力で、なんとか一人でやりなさい。」
了佐「そうですか・・・・。先生、分かりました。読み方が少しずつ分かってきたので、やってみます。」
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生  まもなく、先生は、近江で一人さびしく暮らしているお母さんと生活するため、大洲藩を脱藩したのです。しかし、先生が近江に帰ってからの了佐は、医学書を一人で読もうとしても、漢字の読み方も意味もさっぱり分からず、困りました。
了佐「ああ、先生には、よく分かるように教えてもらえたので、少しずつ勉強が進んだのになあ。今は進むことができない。困ったなあ。このままでは、医者になるのは無理だ。どうすれば、いいのか。」
学問が進まなくなった了佐は、『何かよい方法はないだろうか』と、考えました。しかし、困っていたのは、了佐一人だけではありません。何人かの若い武士たちも、学問を習っていたからです。
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生 そのうちに、お殿様に申し出て、近江の先生の所へ行って、学問を習う若者が、次々と出てきました。
了佐「父上、私も近江へ行かせてください。勉強を続けたいのです。このままでは医者になれません。」
父「近江にわざわざ行っても、医者になれるかどうか、分からないではないか。それに、近江は遠い。金もたくさん必要だ。ほかの仕事を考えなさい。」
了佐「父上、一生のお願いです。」
父「だめだ。ゆるさぬ。」
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生 了佐は、この後も、近江へ行くことを頼み続けました。父は、何年たってもあきらめない了佐に、困っていました。
父「了佐、何かほかの仕事は見つからぬか。」
了佐「父上、私は一生懸命、考えてきました。しかし、どうしても医者になりたいのです。」
父「了佐も分かっていると思うが、色々な病気を治すためには、たくさんのことを学ばなければならん。お前には、無理だ。」
了佐「先生は、いつも、『一心に努力すれば、力がつく』と、言われました。私には、こつこつがんばる心だけは、人一倍あります。父上、一生のお願いです。先生の所へ行かせてください。」
父「どうしてもあきらめぬというのか。よし分かった。しかし、先生に『見込みがない、医者になるのは無理だ』と言われたら、すぐに大洲に戻るのだぞ。」
了佐「はい、分かりました。父上、ありがとうございます。さっそく、先生の所へ、手紙を出します。」
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生 五年目に、ようやく父のゆるしを得た了佐は、はりきって、近江の小川村にやって来たのです。
了佐「先生、大野了佐です。ようやく、父のゆるしを得て、来ることができました。」
先生「おお、了佐か。とうとう父上が承知されたのだな。よかったなあ。了佐は、医者の力を付けるまで、とことん、ここでがんばりなさい。」
了佐「先生、よろしくお願いします。」
先生は、了佐を温かく迎えましたが、医学の教え方は、ふつうのやり方では、無理だと考えていました。了佐を一人前の医者にするためには、くわしい医学書がいります。しかし、了佐が読めるような本はありません。そこで、分かりやすい本を、自分で書くことにしました。本屋から、日本だけでなく、中国の医学書も買い、了佐のための医学書『捷径医筌(しょうけいいせん:「医学の近道」の意味)』の本書きが始められたのです。
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生 今日は、小川村で、了佐が初めて医学を習う日です。先生は、教えたい内容の教書が五枚書けたので、了佐の下宿に使いを出し、習いに来るよう伝えました。
了佐「先生、習いに来ました。よろしくお願いします。」
先生「今日から、始めることにした。了佐、これが今日の教書だ。分からないことは遠慮なく、たずねなさい。」
了佐は、教書を見て驚きました。医学の内容は、先生の筆で、一字一字書かれたものでした。
了佐「先生、私のために書いてくださったのですか。」
先生「そうだ、この方法が、了佐が医者になる近道であると考えたのだ。分かりやすく書いてある。これをよく学び、全部覚えなさい。私は、了佐の学問が進めば、次々と書くつもりだ。ともにがんばろうではないか。」
了佐「忙しい先生が、私のために一枚一枚書いてくださるのですか。私は何という幸せ者でしょうは。もったいないことです。ありがとうございます。」
了佐は、涙ぐみながら心からお礼を言い、先生が書いた教書を受け取りました。
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生 了佐は、熱心に勉強しました。分かりやすく書いてありましたが、分からない時は、何度も先生の所へ行きました。このころの先生は、門弟たちに講義をし、また、自分の学問をまとめて本にするなど、毎日、大変忙しい生活でした。その上、了佐のために教書を書き始めたので、夜遅くまで起きて仕事をする日が続きました。そんなある日、門弟たちがひそひそ話し合っています。
門弟1「このごろ先生は、夜中まで仕事をしておられるぞ。」
門弟2「ぜんそくで、時々咳き込んで疲れたご様子だ。」
門弟1「了佐のために教書を書いておられるようだ。」
 門弟2「あまり、無理をされないようにと、申し上げよう。」
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生 門弟たちは、先生の部屋をたずねました。
門弟1「先生、のごろ夜中まで仕事をしておられるのは、了佐のために教書を書いておられるからですか。」
門弟2「了佐を教えるだけでも時間がかかるのに、その上、教書を書かれるのが大変です。お体は大丈夫ですか。」
門弟1「それに、私たちの講義の時間が減りました。」
先生「言いたいことは、分かった。まず了佐のことだが、お前さんたちに比べると、学問を身につける力が弱い。しかし、やりとげようという根気は、人の何倍もあり必死にがんばっている。そんな了佐が一人前の医者になれるよう、できるだけのことをしてやりたい。次に、お前さんたちのことだ。さむらいとして選ばれて学問を習いに来ているものが多い。私が少し教えればすぐに理解できる。お互いに学び合うことも大切だ。工夫して学問を深めなさい。」
門弟1「先生、よく分かりました。あれこれ行ったことをお許しください。」
 先生の言葉は、門弟たちの心に響きました。先生は心の底から、みんなのことを考えておられることや、心に決めたことは、必ずやり遂げる人だと分かりました。
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生 了佐が小川村で勉強を始めてから三年あまりが過ぎました。今では、先生から教書をもらうと、自分の力で読みこなし、理解ができるようになっていました。了佐は、今日も先生から教書をいただく日です。
先生「了佐、来なさい。さっそくだが話をしたい。この教書がお前さんに渡す最後のものだ。今日からしばらくかかると思うが、しっかりと勉強を仕上げなさい。」
了佐「先生、『この教書が最後』というのは、どういうことでしょうか。」
 先生はやさしい笑顔で答えました。
先生「いよいよこれで、了佐が一人前の医者になる力が付くということだよ。」
了佐「先生、本当ですか。この私にそんな力が付いてきたのですか。」
了佐は思わず、先生の前で泣き伏しました。学問が苦手な了佐でしたが、とうとう、その努力で医者としての力を付けてきたのです。
先生が了佐に書いた医学書(捷径医筌)は、四〇〇字詰めの原稿用紙にして千枚にもなるものでした。
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生 いよいよ、了佐が大洲へ帰る日になりました。喜びに輝く晴れやかな旅姿で先生の所へやって来ました。
了佐「先生、長い間お世話になりました。私はうれしくて、うれしくてたまりません。」
先生「了佐はよくがんばった。うれしい気持ちは、わたしも同じだよ。大洲に戻っても、学んだことを忘れないよう勉強を続けなさい。そして、心のやさしい医者になりなさい。」
了佐「はい、先生のお言葉を忘れません。・・・先生、どうかお体を大切になさってください。」
こうして了佐は、喜び勇んで旅立ちました。了佐が大洲で医者を志し、先生から医学の手ほどきを受けた日から、實に九年の年月がたっていたのです。了佐が帰ってから、先生は一緒に見送った門弟たちに言いました。
先生「私は、了佐の教育に力の限りを尽くした。しかし、かんじんの了佐にがんばる気がなかったら、とても一人前の医者にはなれなかったであろう。お前さんたちは、たくさんの才能をもっている。やろうという気があれば、どんなことでもできるはずだ。」
門弟たちは自然に頭が下がる思いで、先生の言葉を聞きました。
藤樹先生紙芝居 追いはぎと先生 了佐は医者としての志をもって、ふるさと大洲へもどってきました。
了佐「父上、ただいまもどりました。先生にみっちり教えていただき、医者の力を付けてもどれました。先生のおかげです。私のために教書を書いて、教えてくださいました。」
父「医者になれたことを信じてもよいのか。お前は何という幸せ者だ。」
了佐「私は、先生のような心の温かい医者になりたいと思います。」
父「先生のご苦心に報いるには、それが一番じゃ。」

 大野了佐は、間もなく母の実家『尾関家』で『尾関友庵』と名乗る医者になり、七十七歳まで、真心をもって治療する先生と慕われて、生涯を医者として活躍したのです。
また、自分のおいを医者にするため、熱心に教育して立派な医者に育て上げました。


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