『あかぎれこうやくのお話』

解説
 藤樹先生は、数え年七歳で故郷小川村を後にして、祖父吉長の養子になり、米子、大洲で勉学に励んでいる間に、一度も会うことなく父親を亡くしました。
学徳が深まるほど、妹も嫁ぎ細々と一人住まいをしている母のことが心配でたまらなくなりました。「孝養を尽くしたい」と考え、四国の大洲へ母を迎えるために、小川村に行きました。しかし母は、「私のことは心配せず、自分の仕事や学問に励みなさい」と言い、頑として受け入れませんでした。やむを得ず大洲へ一人で帰ったものの母のことを思うと、悩みは深まるばかりでした。この上は暇をもらって故郷に帰って世話をするしか方法がないと考えるに至りました。嘆願書を家老を通して出しましたが、数年たっても、殿様の許しが出ません。
 そこで、藤樹先生は、大洲で築いた地位も財産も何もかも投げうってとうとう命を賭けて、密かに脱藩し生家に戻り、先生が亡くなる日まで、母と共に暮らしました
 この母思いの話は、先生の年譜に記載されている話です。
 先生は学問で身を修め、知行合一の大切さを人々に説き、自らも実践したことで、多くの人々に感銘を与えました。
 本紙芝居は、明治時代の作家『村井弦斎』が書いた『近江聖人』という読み物にのっていた話をベースに、諸説を織り込んで脚本を作りました。愛媛の新谷には、与右衛門が膏薬を手に入れたとされる薬屋の石碑が建っているのですが、はっきりした事実は、判っていないようです。村井弦斎が書いた「あかぎれこうやくの話」は、全国的に有名になり、同時に『中江藤樹』の名前も有名になりました。
 明治・大正・昭和の戦前まで、国語や修身の教科書に載りました。今もこの話、子が親をしたい、又大切に思い、親が子への深い愛情をもって厳しく接した感動的な話として、語り継がれています。
 小学生の中・高学年なら、よく理解できる内容ですし、又中学生にも視聴してほしい内容です。
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話 与右衛門が九歳になった春、おじいさんの住んでいる米子へ行って勉強することになりました。
いよいよ出発の朝です。
母「与右衛門、おじいさんとおばあさんを父、母と思ってくらしなさい。」
父「自分で行くと決めた与右衛門のことだ。くじけずにがんばるのだぞ。」
与(与右衛門)「お父さん、お母さん。いっしょうけんめい勉強します。」
母「途中で父、母が恋しくなっても、小川村に戻ってきては、だめですよ。」
与「はい、わかりました。」
祖父「与右衛門のことは、このわしが引き受けた。安心せよ。」
与「では、おとうさん、おかあさん。行ってまいります。」
 こうして、まだ九歳になったばかりの与右衛門は、おじいさんにつれられて、遠い米子へと旅立ちました。
 お父さんとおかあさん、妹の葉は、おじいさんと与右衛門の姿がだんだん小さくなって、見えなくなるまで、見送りました。
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話 ようやく着いた米子は、にぎやかな町で、大きなお城がありました。おばあさんは、与右衛門を心から喜んで迎えてくれました。心の温かい人で、与右衛門のつかれが早くとれるようにと、お風呂にゆっくり入らせました。また、おいしい食事を作りやさしくすすめてくれました。
 おじいさんは、強いさむらいで、やりや馬乗りの名人でした。しかし、与右衛門には、こんなことを言いました。
祖父「わしは、字を書いたり、本を読んだりすることができないのが残念でならん。これからのさむらいは、刀ややりが強いだけではだめだ。字を習い、本を読み、心の正しいかしこいさむらいになることが大切じゃ。」
 与右衛門は、進んで字を習い、一年もたたないうちに、本を読み、手紙を書けるようになりました。
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話 与右衛門が十歳になった時、殿さまがお国がえになりました。殿さまについて、おじいさん、おばあさんといっしょに四国の大洲へ移りました。大洲は山に囲まれた土地で、肘川という大きな川が、ゆったりと流れる美しい町でした。ここでも、おじいさんは、与右衛門のために気をつかい、いろいろな本を買いました。
祖父「与右衛門、頼んでおいた本が今届いたぞ。見てごらん。」
与「ありがとうございます。早速、今夜から勉強します。」
 与右衛門は、昼は剣道に励み、夜は勉強にうちこみました。
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話 山々の紅葉が散り始めた頃、小川村のお母さんから手紙が届きました。
『与右衛門、寒くなってきましたが、
元気にしていますか。勉強はすすんでいますか。こちらでは、みんな元気にくらしていますので、安心してください。もうすぐ、寒い冬がやってきますね。私は、冬になると手に「あかぎれ」ができるので、困ります。つめたい水仕事をすると、「ひびわれや、あかぎれ」になるので、気をつけたいと思っています。
寒くなると、風邪をひいたり、病気にかかりやすくなるので、与右衛門も体を大切にして勉強や武芸にはげんでくださいね。   母より』
与右衛門は、なつかしいお母さんからの手紙をだきしめました。
与「そうだ、お母さんは冬が来ると、手の指先が、ひびわれしたり、手のこうにあかぎれができて、とてもつらそうだったな。水仕事をすると、そこから血がにじんで、とてもいたそうだった。何かよい薬があればいいのに。」
与右衛門は、お母さんのことを思い出すと、心配でたまらなくなって、なみだがこぼれてました。
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話 そんなある日、与右衛門は、あかぎれに良く効くあかぎれこうやくを知り合いの人から分けてもらうことができました。
与「この薬は良く効くそうだ。これがあれば、お母さんのあかぎれを治すことができる。しかし、どうすれば早く届けることができるのか。
・・・・そうだ、自分でお母さんの所へ持って行こう。なつかしいお母さんにも会いたいなあ。」 
しかし、近江国は遠すぎて、与右衛門はどうして行けばいいのかわかりません。ある日、一人の漁師から、近くの湊から大阪行きの船があること
を聞きました。大阪から京都に行くのも、船で行けます。歩くのは、京都から小川村までだということが、分かりました。
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話 与「よし、何とか行けることが分かったぞ。出発は、朝の暗いうちがいいな。」
次の日、朝早く、旅のしたくをした与右衛門は、こっそりとだれにも告げずに、おじいさんの屋敷を抜け出しました。こうして、なつかしい小川村へ行くために、船に乗ったのです。
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話 それから、いく日がすぎたのでしょうか。心細い船旅を終えて、近江の小川村の近くまで、たどりついた時は、吹雪になっていました。野山はまっ白な雪にうずまっていました。与右衛門が、今にもたおれそうになりながら歩いていると、ついに、なつかしいわが家が見えてきました。与右衛門は、疲れも忘れ、足を速めました。

⑧ 与右衛門は、井戸端で洗い物をしているお母さんを見つけ思わずかけだしました。
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話 与右衛門は、井戸端で洗い物をしているお母さんを見つけ思わずかけだしました。
  ・・・ はずんで ・・・
与「お母さぁん、お母さぁん、与右衛門です。」
母「・・・・・・・」
お母さんは、驚いて声も出ません。それもそのはず、遠い大洲にいる与右衛門が、目の前現れるわけがありません。
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話 与「お母さん。与右衛門が、ほら、この薬を持って帰ってきたのです。」
与右衛門は、大切に背中にくくり付けていたふろしきを降ろし、両手でお母さんに薬を差しだそうとしました。
母「ほんとうに与右衛門ですか。・・・・・・・・まあ、大きくなって。しかし、どうしてここに来たのですか。何か急な用事ができたのですか。・・・・・そして、おじいさんはどこに?」
与「・・・・お母さんのあかぎれが心配で、この『こうやく』を持って帰りました。ひびやあかぎれによく効くのです。お母さんがどんなにかお困りかと思って・・・・。でも、おじいさんには、ないしょで出てきました。」
お母さんは、与右衛門のやさしい心を知り、涙があふれそうになりました。かわいいいわが子が、今、何年ぶりかで目の前にいるのです。つかれた冷たい体を抱きしめたくてたまりません。
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話 お母さんはしばらくじっと黙っていましたが、気を取り直して言いました。
・・・・心を込め やさしい口調で・・・・
母「これ、与右衛門、よくお聞き。おまえは、今大切な勉強をしに行っているのですよ。それなのに、勝手にとちゅうで家にもどるなんて・・・・。おまえが、お母さんのことを思ってくれることはよく分かります。でも、わたしは、おまえが薬を持って来てくれるより、その時間にしっかり勉強して、立派な人になってくれる方がどれほどうれしいかしれません。心を強くお持ちなさい。さあ、ここまで一人で来たのなら、一人で帰れぬことはないでしょう。その足で、すぐにお帰りなさい。」
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話 与右衛門は、おかあさんのきびしい言葉に声も出せず、へたへたと地面にひざをつき、顔を上げることができません。
・・・・やさしく りんとした口調で・・・・
母「与右衛門、お母さんの言うことがまだ分かりませんか。こころざし半ばで帰って来るようでは、立派な人になれません。自分がしなければならないことにはげむことが、今は一番大切ですよ。」
与右衛門は、流れるなみだをぬぐい、白い雪の上にすわり直しました。
与「お母さん、よく分かりました。わたしは、まちがっておりました。それでは、すぐ引き返します。でも、このこうやくだけは、どうか受け取ってください。」
母「おまえのやさしい気持ちは、とてもありがたく思います。これだけはいただきましょう。」
お母さんは、与右衛門の手を包み込むようにして、受け取りました。
藤樹先生紙芝居 あかぎれこうやくのお話 雪は、はげしく降り、寒い風がヒューヒューと吹いていました。こうやくを、お母さんに手渡した与右衛門は、今来た道を一歩一歩踏みしめ、もどって行きました。
 お母さんは、与右衛門を追いかけて、わが家に連れもどしたくなる気持ちをおさえ、たたずみました。次第に遠ざかり、小さくなっていくわが子の姿を見つめ、熱いなみだがあふれて、とまりませんでした。
 (おしまい)


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