『子どものころの藤樹さん」 解説 中江藤樹先生は、今から四〇〇年ほど前の一六〇八年に生まれた江戸時代初期の儒学者です。近江の国(今の滋賀県)で誕生しながら、九歳で両親と別れて武士である祖父に連れられ、鳥取県の米子、続いて、愛媛県の大洲へ行きました。晩年、再び郷里にもどり、多くの優れた門人を育てました。また、村落の教師として、地域、近隣の人々にも尊敬され、大きな感化を与えました。米子へ行ってから、あるいは、大洲に移ってからの軌跡や活躍については、たくさん伝えられていますが、郷里小川村における幼少年時代の伝え話はあまりありません。 しかし、この度、藤樹紙芝居を制作するに当たって、幼児や小学校低・中学年に親しめる子ども時代の藤樹像を、是非描きたいと考えて取り組みました。伝えられる藤樹幼少年時代には、次のような姿がありました。 『落ち着いていて、少々のことでは動じなかった』 『正義感が強く、誠実に行動した』 『礼儀作法が優れていた』 『幼いころから、物覚えがたいへん良かった。』 これらの藤樹少年像を織り込んで、伝え話を生かす形で、子どもが大好きな紙芝居として、構想を練りました。 中心テーマは一つに絞らず、家庭生活と家族愛、あるいは地域の人達とのふれあいを中心にその中で成長する幼き日の「藤樹さん」を描きました。 豊かな自然、温かな家庭生活や家族、地域の人々とのふれあいの中で育つ「藤樹さん」の幼少年時代、その姿は四〇〇年を経た現代においても、大切にされている子育ての原点ではないかと思われます。紙芝居を演じていただく方には、それらを伝えていただくことを願っております。 |
ここは、今から四〇〇年ほど昔の近江の国(滋賀県)小川村。村には、いくすじもの小川があり、一年中清らかな水が流れている村です。小川には、めだかやふながすーいすい。道や野原には、きれいな花が咲いています。おや、空にはひばりも鳴いているよ。中江藤樹先生は、このような小川村で生まれて、すくすくと大きくなりました。藤樹先生の名前は、「与右衛門」と言いましたが、先生の家には、大きな藤の木がおいしげっていたので、大人になってからは、「藤樹先生」と、呼ばれるようになりました。 |
与右衛門さんの家は、お父さん、お母さん、そして、妹、葉さんの四人で暮らしています。お父さんたちは、米作りや畑仕事をしています。 |
与「お父さん、お母さん、おはようございます。」 母「おはよう。与右衛門。今日も元気にごあいさつができましたね。」 父「与右衛門、今日 から、いよいよ田植えを始めるよ。とても忙しくなるから、お葉 といっしょに手伝いをしておくれ。」 与「はい、分かりました。」 母「おむすびをこしらえて、田んぼまでもってきてくださいね。」 与「はい、分かりました。」 父「おむすびを運んだら、苗くばりを手伝っておくれ。」 与「はい。」 母「お葉と二人で、なかよくやりなさいね。」 与「はーい。」 |
与右衛門さんが、葉ちゃんを連れて田んぼに行くと、近所のおばさんが、手伝いにきていました。 与「おばさん、こんにちは。」 おばさん「あれっ、与右衛門ちゃんとお葉ち ゃん、こんにちは。手伝いかい。えらいね。」 与「お父さん、お母さん、おばさん。お疲れさまです。お弁当を、作って来ました。」 葉「おにぎりをいっぱい持って来たよ」 葉ちゃんも、にこにことして、うれしそうです。 母「ありがとう。」 父「ごくろうさん。さあ、次の仕事を手伝っておくれ。」 与・葉「はーい。」 二人は元気に苗くばりを始めました。 |
父「お日様が、真上だね。そろそろお昼にしよう。さあ、みんなでいっしょにお弁当をいただこうか。」 葉「わーい、 ここで食べるの?」 母「そうですよ。さあ、 早く食べるしたくをしましょうね。」 みんなは、むしろを広げました。 与「いただきまーす。、・・・・・・モグモグ、ゴクリ・・・・・・ わぁ、おいしい。みんなで、お弁当を食べるととってもおいしいですね。」 葉「お外で、みんなと食べるのは、楽しいね。」 おばさん「与右衛門ちゃんとお葉ちゃんは、いつも仲良し。感心だねえ。」 母「ほら見てごらんなさい。かえるもお前たちと同じように仲良くしていますよ。」 葉「ほんとだ!。お兄ちゃん、見て。」 与「あーっ、仲良く泳いでいる。楽しそうだな。」 |
夕方、田植えを終わって、みんなでごはんを食べています。 父「与右衛門、ごはんはおいしいか?」 与「はい、とてもおいしいです。」 父「いいかい、与右衛門。今日みんなで田植えをしただろう。あの小さないねの苗から、このごはんになるお米がとれるんだよ。知っているかい?」 与「はい。」 父「このごはんになるまでに、一年近くの時間がかかるんだよ。」 お父さんが、お米の話を始めました。 |
父「お米を作るために、とても大事なものが、たくさんあるんだよ。まず、田んぼの土、お日様の光,、たくさんのきれいな水。そして、おいしいお米を作るために大切なのは、やわらかく土を耕す、草を取る、肥料をまく。たんぼに水を入れたり、水を止めたりなど、たくさんの仕事がある。毎日、朝早くから夕方暗くなるまで、働き通して、育て るんだ。」 与「お父さん、そんなに、たくさんの仕事があるとは、知りませんでした。」 父「そして、ようやく秋になると、お米の取り入れができるんだよ。種まきから始めて、雨の日も、風の日も、暑い日も、毎日毎日、人の世話と、お日様や水などの自然の恵みをうけて、このように、おいしいごはんがいただけるようになるんだ。」 与「お父さん、よく分かりました。」 |
与「いつも、お父さんはごはんがこぼれた時、拾って食べなさいと言われますね。そのわけが、よく分かりました。」 父「そうだよ。だから、一粒のごはんも、そまつにしたり、捨てたりしてはいけないよ。感謝して、いただこうね。」 |
与右衛門さんと葉ちゃんは、大きな声で「はーい」と返事をしました。お父さんの話を、目を輝かせて聞いていた与右衛門さんは、「これからは、もっと勉強して、いろいろのことを知りたい」と、思いました。 |
ある日、与右衛門さんが道を歩いていると、遊んでいた男の子たちの一人が、呼び止めました。 男の子「おーい、与右衛門 ちゃん。おもしろいよ、見てごらん。」 与「どうしたの?」 男「かめを捕まえたんだ。ほら、ごらん。背中をたたくと、頭や足がへっこむんだ。」 男の子は、かめのこうらを、棒でコンコンとたたきました。 |
かめは、出していた頭や足を、キュッと、引っ込めました。 男の子たち「わはっはっはー、おもしろいだろう。」 与「あーっ、かわいそう。」 男の子たちは、おもしろそうに大声で笑いましたが、与右衛門さんは、かけよって、かめをそっと抱き上げました。 |
与「このかめを、逃がしてやろうよ。」 男「いやだよ。せっかく捕まえて遊んでいるんだから。」 与「いたずらするのは、やめよう。かわいそうだ。みんなだって、たたかれたら痛いし、いやだろう。」 男「うん。それは、いやだよ。」 与「じゃあ、このかめ、逃がしてやってもいいね。」 みんな「うーん、どうしよう。・・・・・・仕方がないな。いいよ。与右衛門ちゃん。」 男「与右衛門ちゃんって、とてもやさしいんだね。」 与右衛門さんは、かめを川の土手に、そっと放しました。 与「かめちゃん。さあ、安全な所へ行って、遊ぶんだよ。」 |
与右衛門さんが、九歳になった春のことです。遠い米子のお殿様につかえているおじいさんが、ふるさとの小川村に帰ってきました。おじいさんは、馬子の与右衛門さんが、しっかりした子どもに育っていることに驚きました。おじいさんは、お父さんとお母さんにこんなことを言いました。 おじいさん「与右衛門がしっかりした子になって、わしはとてもうれしく思うぞ。これからが楽しみだ。そこでだ、与右衛門を米子へ連れて行き、勉強させたいがどうであろうか。」 お父さんとお母さんは、とても驚きました。おじいさんは与右衛門さんにもすすめました。 おじいさん「与右衛門、米子へ行って、もっと勉強をし、立派なさむらいにならないか。」 与右衛門さんは、いっぱい勉強がしたかったので、米子に行きたいと思いました。 与「はい。私は勉強をしたいと思います。米子に行きたいです。」 |
父「与右衛門は、言って勉強をしたいと答えたが、大丈夫だろうか。まだ、あんなに小さいのに、かわいそうな気がするな。」 母「ええ、私も心配でたまりません。でも、おじいさんが言われるように、しっかり勉強することは大切だと思います。与右衛門は行きたがっています。あの子は、きっとがんばってくれますよ。」 お父さんとお母さんは、まだ小さい与右衛門と別れるのは、とてもつらくさびしいと思いました。でも、きっとりっぱな人になってくれると信じて、米子へ行かせることにしました。 |
出発の日の朝になりました。 与「お父さん、お母さん、これからおじいさんと米子に行きます。そして、いっしょうけんめい勉強します。どうぞ、元気でお過ごしください。」 父「米子では、皆さんを先生だと思い、しっかり勉強しなさい。」 母「りっぱな人になれるよう、がんばりなさい。体を大切にしなさいね。」 与「はい。お父さん、お母さん、元気にお過ごしください。では、行ってまいります。」 お母さんの目から、いっぱい涙があふれていました。 |
長い旅をして、ようやく着いた米子は、にぎやかな町でお城がありました。 おばあさんは、たいへんやさしい人で、与右衛門さんが来たことを、心から喜んでくれました。与右衛門さんは、勉強が楽しくてたまらず、いっしょうけんめい習いました。一年もたたないうちに、手紙を書いたり、むずかしい本をを読んだりできるようになりました。 米子で、一年ほど過ごしてから、今度は、大洲(今の愛媛県)に移り住みました。与右衛門さんは、大洲に行ってからも、人の何十倍も勉強しました。学問だけでなく、正しい行いができる人になりたいと考え、ますます勉強にせいをを出しました。 |
そして、中江藤樹先生は、『近江聖人』とたたえられ、今も人々に親しまれています。 |